こんにちは。


1週間見なかった多肉が、
紅葉していて驚きました。
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昨日母の初七日を無事終えました。

ちょうど1週間前の水曜日、
珍しいことなんですが、
姉の家と私の家を訪問し、
少しつかれたみたいで、
母を送り届けたのは、お昼近くでした。

このリースをひっくり返した私。
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ソソクリの私を見て
大笑いしてました。

「バイバイ、またね〜。」
手を振って別れたのが最期でした。
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次の日の早朝、
何度もかける電話にでない母。
暖かい季節なら、
庭仕事してることも珍しくないのですが、
その日はとても寒かったので、
嫌な予感がしたのです。

玄関内で倒れている母は、
もう戻ってきてはくれませんでした。

私は姉と2人姉妹。
どちらも姓が変わっています。
私達に迷惑かけたくないと
いつも言ってたのですが、
こんなふうに
お別れになってしまうとは。

駆けつけてくださった
何十年もお世話になってる
主治医の先生は、
「どこか少女のような
可愛らしい方でした。」
と言って、
涙を流して下さいました。

母はとっても嬉しかっただろうと思います。
働き過ぎの先生を
いつも心配してましたから。
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葬儀はコロナのこともあり、
家族のみとなりました。
家族葬のことを、
近くの2軒だけお伝えしましたが、
親しかったご近所の方々が
自宅や通夜などに来てくださって、
とてもありがたかったです。

迷惑な存在になりたくないと、
病と闘いながらも、
一人暮らしを続けた母。

最期はもう少し
お世話をさせて欲しかったです。
父を自宅介護で看取ったので、
大変さをよく知っていたのでしょう。

私と夫が、家に来てと言っても
まだまだ大丈夫と言って
聞き入れませんでした。

家の中はすっかり片付けられています。
不要なものは処分して、
引き出し類はラベルをはって、
きちんと整理されてます。

庭には草もほとんどありません。

辛いけど、
母はこれで良かったと
思っているのでしょうか?

喪主として
火葬場のスイッチを入れるのが、
とてもつらかった。

昭和4年生まれの立派な生き方でした。

最期まで読んでくださって
ありがとうございます。